たったそれだけで敬語
広島での学生時代、部室で見かけた先輩に「あ、先輩きとったったん」と言うと、「お前は敬語が使えんのか」と厳しく叱責された。
私の発言を日本語訳すると「あ、先輩来られてたのですね」である。
もともとは京ことばの「きはった」が播州では「きたった」となり、現在完了形の「きて(い)はった」が「きとったった」となる。播州弁では「たった」は、それだけで敬意を表す敬語なのだ。でも域外ではいろいろと誤解を醸すようだ。
さらにこの先輩が同じ関西圏の滋賀県出身であったことが、私の落ち込みを余計に深くした。関西全般でよく使われる「やったった」と混同されることが多いように思う。これは「やってやった」が短縮されたもので敬語の意味は全く含まれてはおらず、むしろ上から目線の言葉として用いられる。それだけに「たった」敬語論に向けられるヘイトは関西圏内の方が強いのかも知れない。
これに加えて、播州弁独特の語尾の上がらない疑問文が、ぶっきらぼう感を一塩にする。「たん?」は「たのか?」の撥音便的短縮である。普通の質問の場合の語尾の上げ下げの使い分けは、地域(播州内の)によって、或いは人によって違うようである。その一方で確認を求める意味で用いる場合、ほぼ100%語尾が上がらない。
例えば、「ご飯食べて来たん↓」など。
「播州弁あれこれ その1」で、京街道を行き来する行商人の影響について述べたが、近江商人には全く違う伝わり方をしているようである。
そんな拡散事情など全く意に介さず、「たった」敬語はさらに孤高の進化の道を征くのである。
播州弁の「何しょったん↓」は何をしていたのかの意味であるが、「何しょってん↓」は前者より敬語の意味が込められて用いられる。なんとたった一文字で敬語なのである。前述のとおり「~てはった」が訛って簡素化されて「~たった」になっていったのだと思う。そしてさらに進化して研磨されて「て」だけになった。一文字でもと言葉遣いの中に敬意を込めようとする姿勢は播州人の奥ゆかしさなのだろうか。
ただし短縮された分、敬語の効力も半減しているようで、「て」敬語は本気モードの場面で用いられることはない。むしろ庶民的な親しみを込めた感じで広く使われているようだ。
「こりもせんとまたパチンコ行きよってやわ」と揶揄したり。
「これ!誰に吠えよっての!」と犬を叱ったり。
意味もなく込められた敬意がにじみ出ていて、妙に笑えるのである。